伊藤英さん

昼は避難所で救援物資の仕分け、夜は街を見回る自警団、空いた時間に母を探して歩いた

震災時は、美容師として大船渡市にある店舗で勤務中。

今までにない位の大きな揺れを感じ、津波が来ると確信しすぐに車で高台へ避難。

津波は避難した高台寸前にまで押し寄せたが、なんとか無事だった。

しかし、陸前高田市にある実家は流された。

一緒に住んでいた母がみつからない。

避難所で生活をしながら、昼は避難所で救援物資の仕分け、夜は盗難を阻止するために街を見回る自警団、そして、空いている時間に母を探して歩いた。

美容師の仕事を再開し、震災から7か月たった10月に警察から連絡があり母の遺体と対面。

実家から遠く離れたところで見つかった。

津波に流されたのかもしれない。

母を探している最中、ある日の夜、金縛りにあい、山の景色が見えた。

母が見つかった場所によく似た風景だった。

母が呼んでいたのかもしれない。

 

人と人をつないで笑顔が生まれる活動を

陸前高田の復興のために今できることに集中して働きたいとの思いから、11年務めた美容師の仕事を辞め、幼馴染が立ち上げたSAVE TAKATAへ。

きっと、亡くなった母も今できることをやりなさいと言ってくれるだろう。

人と人をつなぐことによって笑顔が生まれる活動を行いたいとの思いで日々業務を行っている。

自分はまだ若いので、表に出るのではなく後ろから後方支援の形で復興に携わりたい。

復興は一人ではできない。

一人ではできないがみんなでならできる。

そのためにも、人と人をつないでいきたい。

 

亡くなった母へ親孝行を

震災後くやしいことは、亡くなった母に親孝行できないこと。

今まで、実家で母の下で暮らして来たので多少甘えがあったのかもしれない。

だから、今のSAVE TAKATAでの震災復興の活動を通じて、自分を成長させたい。

自立した強い自分になりたい。

自信を持ちたい。自分の土台を築きたい。

自立して心から笑え幸せになることが、亡くなった母に対するせめてもの親孝行だと考えている。

(2012年7月インタビュー)

 

SAVE TAKATAのメンバーと共に。事務所がある復興商店街「高田大隅つどいの丘商店街」にて。写真一番左がインタビューを受けた伊藤英さん。中央は代表理事・共同代表の佐々木信秋さん。右は陸前高田オフィス代表の岡本翔馬さん。

 

SAVE TAKATAでの作業風景。

 

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