被災を免れた自宅で過ごす長崎基一さん

 

毎年集落で実施していた避難訓練が住民の命を守った

岩泉町小本にある自宅敷地内で大工の仕事中に地震にあう。
今まで経験したこともない大きな揺れを感じた。
震災時は、小本の集落の副会長を務めていたので、集落の住民に避難を呼びかけ、高台に避難。
毎年避難訓練を実施し、また、丁度一年前に完成した避難階段を利用したので避難はスムーズに進んだ。
避難した高台からは、私が住む集落は見えなかったが津波が集落を襲うドーン、ドーンという太鼓のような音と土煙だけが見えた。
私は、家族、自宅とも無事だったが、岩泉町小本では約160世帯中、約120世帯が被災し3名の方が亡くなった。

 

集落の副会長として集落の警備と食料の調達を自ら買って出る

震災後、集落の警備と避難所への食料の調達を自ら買って出た。
3日ほど車に寝泊まりしながら、まだ冬の寒さが残る中、朝から晩まで集落の入口に立ち警備を続けた。また、集落で家が残った方のお宅を一軒一軒まわり、野菜や米など多くの食料を調達し避難所へ届けた。

 

地震が来たら、とにかく高いところに避難を

今回の震災で学んだことは、とにかく地震が来たら高いところに避難すること。津波は時速100キロ超えるので、油断し避難が遅れるとあっという間に津波に飲み込まれてしまう。過信、慢心は絶対にダメ。
私が住む集落には、昔から裏山など高いところに逃げるための小道があり、地震があった時はこの小道を登って高台にある八幡様や墓地に逃げるよう子供たちにも教育を徹底してきた。それが、被害を最小限に食い止めたのかもしれない。

 

愛する小本を元通りにしたい

岩泉町の復興が気になるので、町議会は必ず毎回傍聴している。特に、家が残った方とそうでない方との温度差があるので、正直なところなかなか話し合いが進まず、復興のスピードが遅く感じる。
それでも、なんとか大好きな小本を震災前の元の姿に戻したい。元の集落の方々が楽しく生活していた状態に戻したい。
そのために、機会がある度に正直に自分の意見を述べてきた。それが、時に反発をかったこともあったが・・・。
また、震災により離れた方にも戻ってきてほしい。そうでなければ、小本は限界集落になる。小本は、約160世帯で約400人を超える人が住むが、60歳以上が多い上、一人世帯も多い。私が住む集落は、44世帯。内、小学生が2世帯、中学生が3世帯しかない。5人くらいしか子供いない。

 

海の幸、山の幸に恵まれている小本へ

小本は山が海に迫っている地形なので、山の幸にも海の幸にも、恵まれている。
山の幸は、キノコ類、とくに松茸が有名。
海の幸は、秋に小本川を遡上してくる南部鼻曲り鮭が有名。毎年、11月末~12月いっぱいまで小本川の河川敷で格安販売を行っている。去年は震災があったが、それでもかなり遡がった。
他にも、春はウニ、秋はアワビが有名。震災のため、今年はウニが採れなかったがアワビは漁を再開予定。
平成26年4月には、震災により一部不通となっていた三陸鉄道北リアス線も全通し、小本駅も防災や役場支所機能を備えた立派な駅ビルになる予定。
わたしは、平成22年から小本のガイドを務めています。これからも、大好きな小本の魅力を伝えていきます。

 

(2012年7月インタビュー)

 

被災した岩泉町小本の現状