藤原長一さん

 

ジェット機のような轟音が鳴る

低地にあった公園「花まりん」で作業中地震にあう。危険を感じ学校にいた孫を迎えに行く。自宅へ戻った藤原さんは高台へ。近所の住民は海の様子を見に低地へ。藤原さんの耳にジェット機のような轟音が聞こえ危険を感じ海の様子を見るため低地にいた住民へ高台に来るように声をかけ続けた。間一髪、波ギリギリで全員助かる。津波は船越半島を囲むように両方向から来て合流し渦を巻いた。藤原さんの地区は平坦地でなく急峻な傾斜地であったため地区の人は助かった。しかし、藤原さんの近所にあった老人介護施設は流され90人近くが亡くなった。

 

地域住民の絆の深さを再確認

藤原さんが住む地区の住民は、震災以前も普段から町内活動を行っていたので、震災復旧活動においても役割分担が普段どおりしっかりと行われ地域の方々の心が一つになりスムーズに進んだ。みんなで協力して家の掃除を一軒一軒行った。当初、藤原さん宅の隣りの家は、避難所ではなかったが、地域住民を受け入れるため、避難所として開放した。

 

普段のつきあいが大切

震災後、世間では盛んに「絆」が叫ばれているが、震災前から特に意識しなくても、藤原さんが住む地区の方々の絆は、町内活動などで深かった。「絆」は、特に声に出さなくても藤原さんが住む地区の方にとってはごく当たり前のことだった。今回の震災を通じて、普段の生活のご近所付き合いがいかに大切かを痛感させられた。

 

花まりんの復活

震災によって「花まりん」の近くに建ててあったハウスは流されてしまった。
今年6月には復興支援事業の目途が付いたのでハウスの整備にとりかかった。
また、援農ボランティアも受け入れた。

今後に向けて、まずは、土地があるので、小さいけれど花と木を植えてお客様が来て息抜きできるスペース、小公園を作りたい。この小公園は今、着手している。支援者の方より、なんじゃもんじゃの木を譲ってもらった。この木は北限が中部地方と伺った。山田町は、タブの木の北限なので、なんじゃもんじゃの木の北限になればいいと思っている。そして、ゆくゆくは、津波で流された「花まりん」を復活させたい。そして、復活のさいは、この小公園の花や木を植え代えたい。

 

山田町は日本一

山田町はとても良いところです。特に、船越半島は風光明媚なところです。各地を見て歩きましたが、
わたしは山田町の景色が日本一だと思っています。景色もよいですし、海の幸、山の幸もとってもおいしいです。
全国の皆様、ぜひ、お越しください。

(2012年7月14日インタビュー)

 

グリーンハートやまだでのボランティア作業