常に前向きな姿勢の菅田正義社長

 

操業中、女性社員が直感的に帰宅

地震時は、いかせんべいの工場で操業中。
地震後、ただ事ではないと感じた従業員のほとんどを占める女性社員たちは、次々と自主的に社長に帰宅を願い帰宅。
このことがかえってよかった。家庭を預かる女性のカンの鋭さを痛感。

菅田社長は、宮古市内にある避難所に避難。ご家族は皆無事だった。
工場がある藤原地区へは自衛隊の救援活動により10日位立入禁止。
工場は、一階は浸水し、二階まで波が来た。流れ着いた木材などが建物に突き刺さった。

 

宮古の味を守るべく突貫工事で店舗再開

被災後、近所の住民は自分たちの生活のことで精一杯。そんな中、嗜好品のイカせんべいを再開していいものか悩んだが、
130年4代続いた「宮古の味を守りたい」、次世代へつなげたいとの思いで再開。建築資材がないため、
大工さんに現状ある壁板をつぎはぎする突貫工事(菅田社長曰く「パッチワーク工法」)を依頼、
水道も一部は水道管がむき出しのままの簡易な工事で、なんとか店舗・工場を再生し、再開。

 

原点回帰

工場の製造機械が流されたので、二階の自宅にある家庭用調理器具で一回分だけの量ずつの仕込みと
津波よりなんとか残った代々受け継がれてきた煎餅型で製造開始。
手間がかかったが、その分、味・風味がよくなり、機械化により失われたものに気づかされる。
原点を思い起こされる。

 

従業員の意識の変化

震災前と後で従業員の方々の意識が変わった。「地域のために何か役に立ちたい」と考えるようになった。
「宮古の味を守りたい」との思いで毎日仕事を行っている。
社員の中には、震災後「地域の役に立ちたい」と盛岡市内での仕事を辞めて故郷の宮古市に帰って来た女性も。

 

何が起ころうとも人生として受け入れる

震災を通じて、良いことも、そうでないことも、何が起ころうとも人生として受け入れるようになった。
震災前は良いことだけを受け入れていた。震災後は、良いことも悪いことも人生として受け入れるようになった。

 

社会的事業への関わりたい

これからは、貨幣経済の存在を尊重しつつ、貨幣経済では賄いきれない社会的な事業分野に商売として関わっていきたい。
そのためにも、今の事業は、採算性を多少犠牲にしても宮古の味を守るために続けていきたい。
宮古市の文化づくりに貢献していきたい。

 

日本のふるさと東北

東北は、「日本のふるさと」となる唯一の存在だと思う。日本のふるさとの原風景が今も残るところ。
自然、風景、人情、人の心、おもてなしの心・・・。
全国の皆様、ぜひ、触れに来てください。

(2012年7月インタビュー)

 

菅田のいかせんべいの製作風景

 

▼関連リンク

元祖菅田のいかせんべい